メニュー 閉じる

五島慶太が興した「東急車輛製造」タンクローリーメーカー小史

東急の車両工場としてスタート

東急車輛製造の歴史は、東京急行電鉄の車両工場として1946年に設立された横浜製作所に始まります。東京急行電鉄の創設者である五島慶太の発案で、横浜の旧第1海軍航空技術廠支廠を民需転用して工場が作られました。同年、経営は東京急行電鉄から東急興業へと移されます。

創業者の五島慶太
創業者の五島慶太 (Wikimedia Commonsより)

東京急行電鉄の戦災車両の修理に加えて、トラックやバスなどの自動車の修理・部品生産を行なっていました。

横浜製作所の独立と東急車輌製造の誕生

東京急行電鉄は、東京横浜電鉄が小田急電鉄、京浜電気鉄道、京王電気軌道を合併する形で成立した会社でした。戦後、財閥解体の流れによって東京急行電鉄京浜急行電鉄小田急電鉄京王帝都電鉄の4社に分割されます。この解体以前の東京急行電鉄は、現在の東京急行電鉄と区別するために大東急ともよばれます。

分割された4社が共同出資して、鉄道車両や自動車の製造修理を事業目的とした横浜製作所からの独立会社、東急横浜製作所が設立されました(1948年)。1953年には、東急車輛製造と社名を変更しています。

自動車技術の発展

親会社の4社からの電車の発注を受けつつ、トレーラーの開発を始めます。1951年には10tのセミトレーラーが完成し、保安庁に納入されました。このトレーラーは国産部品によって製造されたものでした。

その後、20tトレーラーや1t水タンクトレーラーなどを保安庁に納入し、自動車部門は東急車輛製造の主力製品へと発展していきました。

保安庁は1954年に改組され防衛庁となり、航空自衛隊が新設されました。この航空自衛隊からの要請によって、航空機の燃料補給に使用する4000ガロン給油車や、滑走路ようの掃除用モータースイーパーなどが製造・納入されました。

特装車事業の拡大と東邦特殊自動車工業

1954年、自主設計の電車車両第1号としてTKK5000形を製造します。最新技術を導入して作られた超軽量車体の5000形は、のべ105両が製造され東京急行電鉄に納入されました。

東急車輛製造の主力事業として、鉄道車両開発とともに進められたのが自動車開発です。1957年から建築業界向けにダンプの自主開発が始まり、翌年に完成しています。しかし、技術や販売力の不足により、量産体制にのせることができませんでした。

そんななか、東急車輛製造は、特装車のパイオニアである東邦特殊自動車工業に資本参加することになります(1959年)。東邦特殊自動車工業はタンクローリーの国内シェアトップを持つ企業でしたが、朝鮮戦争後の不況や鍋底不況によって経営難に陥っていました。資本参加によって東方特殊自動車工業の経営立て直しを行いながら、特装車に関する技術を得ていきます。

こうして、タンクローリーやダンプ、トレーラーの開発は加速し、特装車事業は東急車輛製造の中核的な事業へと成長していきます。1964年には東邦特殊自動車工業を合併し、特装車の更なる競争力強化を推進していきます。

1959年製タンクローリー
1959年製タンクローリー

オールステンレスカーと海上コンテナ

1968年、海上コンテナに進出。わずか4年で5万個の生産販売実績。生産量世界一位となります。

Budd社製ステンレスカーR11
Budd社製ステンレスカーR11 (Wikimedia Commonsより)

その他

社名に使われている「輛」という字は、「輌」の異体字です。1953年に東急車輛製造が誕生して以来、社名には「輛」が使われてきました。しかし、1962年に初めて社名ロゴマークが制定されたときには、東急車製造と書かれていました(下図)。

1962年制定のロゴでは東急車輌製造の字
1962年制定のロゴでは東急車輌製造の字 (東急車輛50年史より)

1977年以降はロゴマークでも東急車製造という表記に統一が図られますので、現在では見ることができない貴重な資料です。

東急の登録商標として1960年以降に使用されたマークは

参考文献

  • 東急車輛製造株式会社編 (1978) 東急車輛30年のあゆみ, 東急車輛製造株式会社.
  • 東急車輛製造株式会社編 (1999) 美しい時代の創造 : 東急車輛50年史, 東急車輛製造株式会社.

会社情報

東急車輛製造株式会社 (Tokyu car corporation)

2002年に東急の完全子会社となり、鉄道車両事業をJR東日本へ、特殊車両事業は新明和工業へ事業譲渡した。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。